2022.11.29

感情スイマー #1 不安
コピーライター里沙
スーパーの床に寝転がって、駄々をこねている子どもを見かけると思う。うらやましい、と。私も、人目を気にせずしゃがみこんでしまいたくなることがよくあるから。
そういう時は、「不安」という感情の大波がやってきて、自分の許容量を超えてしまっている時。それは突然やってくるというより、何日かかけてジワジワと体内に充満していく感じ。すれちがうすべての人が優れて見えて、自分だけが何もできない。そこにいてはいけない。そんな気がするのだ。もちろん、そんな人間はいない、と頭ではわかっているのだけれど、心が言うことをきかない。ほんとうに困る。
どこにもいちゃいけない、と感じた私は、前にも、後ろにも、進めなくなる。はじめは心理的に。だんだんと肉体的に。体が重たくなって、足が遅くなって、しまいには歩くのをやめて、道端にしゃがみこんでしまいたくなる。これまでは、我慢していた。だって大人ですもの。さすがにちょっと恥ずかしい。しかし、先日ついにしゃがみこんでしまったのだ。
その日、私は友人の前向きな話を聞いた。友人はすごく楽しそうで嬉しかったし、そんないい話を私に話してくれることも嬉しかった。けれども、聞いているうちに、だんだんと苦しくなってしまったのだ。
まわりの人はみんな、いきいきと輝いていて素晴らしいのに。どうして私はこんなに何もできないのだろう。挙句の果てに、大切な人の話さえ、心から共感してあげられなかった。
帰りの電車のなかで、自分に対する強烈な嫌悪がこみあげてきた。不安で、怖くて、悲しくて、目の奥に水分を感じた。この文章を読んだ友人たちが、私にポジティブな話をしてくれなくなったら、とても困る。こんな心持ちになった理由は、友人のせいでは絶対にないから。むしろ、ふだんの私なら、嬉しくて仕方がない話だったはずだから。最近は、仕事でガマンすることが、いつもより少し多かった。精神的に疲れていたところに、ちょうど生理が近づいてきていたようだ。そう。たまたま、心の調子が悪かっただけなのだと思う。

日々に余裕がある時なら、多めに睡眠をとったり、悩みやストレスが小さいうちに自分の頭で整理したり、心身の調子を崩さないよう心がけている。でも、うまくいく時ばかりじゃない。今月は、生理がくる日を確認するために、手帳の前月のページを開く気持ちの余裕さえなかった。
とにかく、そういうわけで、私は半泣きになりながら、なんとか最寄り駅に着いた。駅で一緒に降りた人たちが、それぞれの道に分かれていく。私が歩く道は、ついに、車道の反対側を歩くカップルと私だけになった。何もかも嫌になった私は、決意した。彼らがいなくなったら、今日こそもう本当にしゃがんでしまおう、と。
楽しそうにゆっくり歩く彼らより、さらにゆっくり歩いてみる。彼らが見えなくなった。人の歩行速度は、幸福な時も、不安な時も、遅くなるようにできているのかもしれない。
ここなら、しゃがめそうだ。人通りは少ないけど、車はたまに通るし、家もある。怖い人が来たら、どこかの家に駆けこめばいい。リスク管理ばっちりの、計画的しゃがみこみ。何をやっているんだろう。感情が風邪をひいている時は、思考がおかしくなる。
そうして、ついにしゃがみこんでみた。怖さもあって、しゃがむ前よりも涙の量が少し増えた。1分弱くらいだっただろうか。いや、10秒ほどだったかもしれない。体感的には長く感じた。でも、たぶん、わりとすぐ。私は、すっと立ち上がった。家に向かって、また歩き始めた。もちろん、不安感はまるで払拭されていない。けれども、歩き続けるより立ち止まるほうが、よっぽど不安だったのだ。
感情の大波がやってきた時には、思いっきり感情に従って動いてみる。たまには、そういうのも悪くないかも。頭ではなく、心で気づくことがあるかもしれないから。ただし、夜道には気をつけながら。